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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)9004号 判決

原告 堀本稲夫

被告 国

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対し金百三十二万六千円、及びこれに対する昭和二十六年九月八日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め請求原因として、(一)、原告は、昭和二十一年十一月二十六日午後八時三十分頃東京都杉並区下高井戸四丁目九百二十二番地竹谷良松方前道路上を通りかかつた際、同家に強盗に押入り右竹谷を追つて屋外にとび出してきた占領軍米国軍隊所属の兵士二名からやにわに挙銃で射撃され、頭部貫通創の傷害を蒙つた。(二)、右負傷のため原告は直ちに入院し、爾後翌二十二年七月二十八日まで治療を受け、その後は自宅において加療を続けた。その間、入院中(1) 附添看護人費用合計金一万六千円、(2) 雑費合計金十万円。退院後(3) 治療費合計金二十一万円を支出した。(4) 又原告は当時満三十六歳の男子で建設事業関係の会社社長として年間金十八万円の収入を得ていた。同年令の日本人男子の平均余命は二十九年であるから昭和二十三年以降インフレーシヨンの影響を斟酌して爾後合計金三千百八万円の収入を得べきであつた。然るに原告は本件負傷のため半身不随となりなんらの職に従事することもできなくなり、右利益を喪失した。結局原告は前記兵士等の加害行為によつて右(1) 乃至(4) 合計金額相当の損害を受けた。(三)、原告は法例第十一条或いは国際慣習乃至条理上、右兵士等に対して右損害の賠償請求権を取得した。しかるに被告たる国の内閣は原告の本件被害の事実を知りながら、昭和二十六年九月八日平和条約を締結し、その第十九条(a)項において此種請求権を放棄したため、原告の右請求権も消滅した。内閣の右の行為は違法な公権力の行使というべきであるから、国家賠償法第一条に基き、被告はこれによつて原告が蒙つた損害を賠償すべきである。(四)、よつて前記(二)の(1) 乃至(3) と、(4) をホフマン式計算法により現時に換算した金千九百八万円との合計額金千九百四十万六千円から、原告が被告より本件傷害の見舞金として交付を受けた金六万円、及び生活保護法に基く扶助料として交付を受け、又将来受け得べき合計金百五十七万四千円を差引き、その残額金千七百四十四万六千円のうち本訴において金百三十二万六千円の支払いを求める。(五)、仮りに右国家賠償法に基く請求が理由がないとしても、被告たる国の内閣は、昭和二十二年一月四日、閣議決定「進駐軍事故のため被害を受けた者に対する見舞金に関する件」において右の如き事故の加害者の損害賠償債務を被告が保証する旨の一般的方針を決定した。そしてこれに基き昭和二十二年二月十一日附原告の申請に対して加害者の損害賠償債務を保証する意思を以てこれを受理した。よつて前記損害賠償請求が認められない場合には右保証債務の履行として前記金員の支払いを求める。と述べた。〈立証省略〉

被告は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁として、原告が主張の日時占領軍兵士によつて挙銃で射撃され主張の如き傷害を蒙つたこと、平和条約締結当時内閣が原告の右被告の事実を知つていたことは認める。併し、内閣が加害者の原告に対する損害賠償債務を保証したことは否認する。損害額は知らない。平和条約第十九条(a)項において放棄の対象とされているのは同条(c)項と対比してみても、加害者所属国に対する我国の請求権即ち所謂外交保護権のみであつて、被害者から加害者に対する請求権は放棄されていないものと解する。そうでないとしても後者の請求権は講和条約において具体的な取極めの為されない限り権利実行の方法乃至可能性のない全く抽象的な観念に過ぎず、しかも、講和条約において敗戦国側からは当然に放棄さるべき宿命をもつものに過ぎないから、これを放棄する条約を締結したところで、これを以て権利侵害といえない。と述べた。〈立証省略〉

理由

(一)、昭和二十一年十一月二十六日、原告が占領軍所属兵士から挙銃で射撃され、頭部貫通創の傷害を蒙つたことは当事者間に争いがない。

しかして右兵士等の右加害行為が原告主張の如くその職務執行外の個人としての行為であるから原告は右兵士等に対して不法行為に基く賠償請求権を取得するものと解すべきである。

尤も右権利が如何なる国の法律に基くものであるかは問題であり一般に之を決定する事は困難であるが、本件の如き行為は今日の文明国に於て不法行為を構成すべきは明であるから加害者所属本国法上に於ても不法行為を構成すると解すべきである。此の場合被害者は右所属本国法によつて権利を取得する。日本の民法の不法行為に関する規定が占領軍の兵士に直接適用されると見る事は可なり困難であるが其の本国法に於て不法行為地の法律を適用する事になつて居れば日本の民法の規定が適用さるべきは言を俟たない。(之れが国際私法上普通認められる原則ではある。)併し本件に於ては此の点は具体的に証明されて居らず、又具体的に証明する事も不可能である事は本件の事実自体に徴し推測し得る。けれども原告が損害賠償の権利を取得する事だけは前記理由により之を肯定するに十分であり、然も日本の民法によるも同様であり、且つ、平和条約は寧ろ此の種の権利の存在を前提とするものと解する事が出来る。

(二)、平和条約第十九条(a)項は我国に連合国軍隊又は政府当局が存在していた事実から生じた我国及び我国民の連合国及び連合国民に対するすべての請求権を放棄する趣旨であると解すべきである。何故なれば同条に於ては「連合国及びその国民に対する日本国及びその国民の」すべての請求権を放棄すると規定されて居り、右放棄される権利は所謂国の外交保護権と国民の個々の権利とを包含する事は明だからである。故に此の点に干する被告の主張は失当であり、原告の損害賠償請求権は同条(a)項によつて消滅したと云うべきである。

(三)、平和条約は我国がポツダム宣言を受諾し無条件降伏を為し、敗戦国として締結したものである。従つて右条約締結にあたりその内容に関しては、内閣及び国会は結局においては憲法その他国内法令の制限を受けるものではない。よつて右条約締結によつて国民の権利が侵され損害を与えることになつたとしても、これを以て違法な公権力の行使ということはできない。

(四)、原告主張の閣議決定は、その標題の示すとおり進駐軍事故により被害を受けた者に対する見舞金の支給に関するものであつて、右事故の加害者の損害賠償債務を被告が保証した趣旨のものではないから、被告が右決定に基き前記兵士等の損害賠償債務を保証したものとは認められない。

(五)、よつて原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

(六)、訴訟費用負担の裁判は民事訴訟法第八十九条による。

(裁判官 安武東一郎 鈴木盛一郎 内藤正久)

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